嘉納治五郎先生は,近代日本において最初に留学生を受け入れた教育者です。
以下は,宏文学院,東京高等師範学校出身の著名人です。
魯迅(1881-1936)
宏文学院1902年4月入学,1904年4月普通速成科卒。
その後仙台医学専門学校へ進学
もともと軍人になるつもりだったが,文人の道へ転換
(武力によるのではなく,教育により国を変えるべきとする嘉納思想の影響も一因ではないかと考えられる。)
宏文学院在学中に弁髪を切り,古い中国と決別する意志を表す。
嘉納が文部省と交渉して,仙台医学専門学校への進学の道を開く。
「狂人日記」,「阿Q正伝」などを著す。
黄興(1874-1916)
1902年宏文学院 促成師範科入学
1903年帰国,辛亥革命で活躍
楊度(1875-1931)
宏文学院卒,近代思想と中国の伝統から,民本思想を提唱
東西文明双方の長所を吸収すべきと主張した政治家
袁世凱の腹心として働く。
秋瑾(1875-1907)
宏文学院卒
女流革命詩人
陳独秀(1879-1942)
宏文学院卒
「新青年」主筆として毛沢東にも影響を及ぼす。
1917年に毛沢東が書いた「体育之研究」(1917)を「新青年」に掲載
范源濂(1876-1927)
1900年,東京高等師範学校英卒
宏文学院の講義通訳者としても活躍
帰国後,3度に渡り中華民国教育総長(文部大臣)に就任し,中華民国の教育制度を築く。
北京師範大学長を務める。(北京師範大学の校歌の作詞は,同氏によるもの)
田漢(1898-1968)
宏文学院卒
東京高等師範学校英卒
帰国後に劇作家として活躍
「義勇軍進行曲」の詩が国歌に選定される。(1949-,1982-)
オリンピックのメダルセレモニーで流される中国国歌の詩は,東京高等師範学校縁の人物作
楊昌済(1871-1920)
湖南出身。嘉納校長に推され宏文学院から東京高等師範学校へ入学
1908年にスコットランドで哲学,倫理学及び教育学を学び,教育による救国を掲げる教育者となる。
1913年湖南第一師範学校で毛沢東(1893-1976)と出会い,青年時代の毛沢東の師となる。
毛沢東は「体育之研究」(1917)で,嘉納の柔道と体育理念を称賛
※このほか,北京大学や北京師範大学の教授にも,数多くの東京高等師範学校出身者がおられます。